文科省 大学院段階の教員養成改革と充実
Posted By taga on 2014年5月29日
昨年10月15日づけで文科省から発表された
「大学院段階の教員養成の改革と充実等について」
―教員の資質向上に係る当面の改善方策の実施に向けた協力者会議報告書―
を読んだ。
タイトルだけを見れば、大学院の改革の話だから、
僕とは直接的に関係はない。
ただ、若い先生たちを育て励ます仕事や活動をしている人間としては
無視できないので、細かく読んでいった。
立ち止まって考えたところだけを、ここにまとめていく。
これは、文科省のとりまとめであるから、
その文言通り現場で使えないことがあるのは、当たり前である。
概ね、「その通りだ。そうあるべきだ。」と賛同したことを前提として書く。
① 「一体化」という名のもと、
大学と教育委員会の連携と協同に力を入れるということ。
大学から無防備のまま現場に放り出される感じの現状から見て
主旨は、賛同できる。
※ ただし、実は教員が育つことにおいて問題なのは、
この仕事は、人が人を教えるという仕事であるからこそ、
初任者が育つのには、それを指導する教員の資質が大きく関係するということだ。
今、現場では、指導できる教員がとても少ない。
そこへ、この考え方を導入しても、うまくいかないのではないだろうか。
教師を指導できる人たちを、さまざまなグループの枠組みを越えて
集めて、流動的に生かせるようにしていかないといけないだろう。
現場経験の少ない(僕は最低二十年は現場経験が必要だと思う)大学の先生が
初任者の指導をするということは、申し訳ないが、かなり難しいことだと思う。
適切な初任者研修のモデルも、必要だと思う。
② 「管理職候補者となるような現職教員を養成する」
その必要は僕も感じている。
教師として高い専門的知識と知見を持っている教師たちは、
管理職に上がることに重きをおいていない人が多い。
僕は、一緒にセミナーをしている個性的な先生たちには、
「校長になってよ。」
と、お願いしているが、
こういう人たちは、なりたくないし、なろうと思ってもなれない。
管理職に対するアレルギーみたいなものを持っている先生が、多すぎる。
僕がよく行かせていただいている伊丹市の小学校長の方々は
真剣に子どものことを考えていて、先生たちを守り育てようとしている方が多い。
感心することがたくさんある。
僕がずっと国語の会として参加している「東風の会」は、
元教育長が二人、元と現の校長がたくさんいらっしゃる会だが、
みなさん非常に高い見識と技術を持っていらっしゃる。
僕の友人にも校長が何人かいて、
それなりに評判がいいようだ。
けっしてすべての管理職の意識が低いわけではない。
でも、「管理職」という言葉そのものにアレルギーを感じて、
そこからは目を遠ざけて子ども達へ専念した結果、
高い技術を習得している教師たちがいる。
この人たちをどう活かせるかは、上からの改革では無理なんだろうかなあ。
本当にこういう人たちを集めて
地域ブロックごとに、必要なところへ指導に入る形をとらないと
現場では、ときに
「担任を持たせたら問題が大きいから、仕方なく」
問題のある教師を初任者研修の指導者に回すなどということが、起こってしまうのだ。
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