善意の毒

Posted By taga on 2015年8月20日

善意というのは怖い。
毒にもなるということを自覚していないといけない。

例えば、「震災の復興支援のために協力して下さい」と言われたら、
断りにくい。
断ったら、後味が悪い。
悪いことをしたような気になってしまう。
震災の復興支援ということに対して異を唱えることは、
ふつうの人にはできない。

つまり、こういう善意の言葉は、
相手に選択の幅を与えないのだ。
受ける人はいい人、受けない人は悪い人、
そういう構図になってしまう。

「アフリカの子どもたちの命を救うためにお金を集めます。
セミナーを開くので、賛同頂けるなら、ノーチャージで講師に来てもらえますか。」
と言われたとき、簡単に断るのは難しい。
しかも、
「このお願いはA先生、B先生、C先生、D先生、E先生にしています。」
なんて書いていたら、あの先生はオーケーしますが、あなたは断るんですね、
というプレッシャーを与えかねない。

「震災復興のためのシンポジウム」だとか
「アフリカの子どもたちの命を救うための特別会議」
だとかいうのならば、そういうことに取り組んでいる人たちが主催して
そこに賛同した人たちが参加してくる。
これならば、問題ないだろう。

いずれにしても、善意を掲げてものごとをするときは、
毒になることもあると、心するべきだ。

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