特別支援の視点

Posted By taga on 2015年12月19日

支援を要する子どもがいる。
支援の先生と担任が一緒に授業の計画を立て
その授業に応じたその子だけの手立てを打つ。
担任もそこを理解する。
その相互の作業で成り立つ。
先生間のコミュニケーションなしでは、その子はそこにいられない。

この前の公開研のときに「その子」が自然とそこにいられたこと。
同じ学習をこなしたこと。
当たり前なのだけれど、大事なこと。
今回は、特にそれを学ばせてもらった。

体育館での授業という特殊な状況に弱い子どもに対して
前もって、体育館での状況を写真と図でよく理解させていたそうだ。
式典とか、いつもと違うことに対しては
常にそうされているという。
特別支援の視点からすれば当たり前のことかも知れない。
だが、僕は感動する。
並大抵の努力ではない。
自分を抑え、あくまで「その子」のことを考えることに徹底している。
それでいて、授業では、裏方の立場を崩さない。
こういう方の努力が、その子を教室に居続けさせられる。

居続ける必要がなぜあるのか?という問いはあるべきだ。
でも、僕ははっきりしている。
「その子」が発表する姿をクラスの子どもたちがじいっと聴き入っている。
こんな姿は、「その子」を教室から取り出したのでは、かなわない。
そこにその子の「居場所」が存在するということだ。

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