大石先生と僕

Posted By taga on 2016年2月6日

元京都女子大附属小学校の大石進先生が亡くなられた。
僕は不祥の弟子であるが、
一番弟子だと思ってきた。

大石先生と僕とのことを、書きたい。
それが「綴り方の弟子」である僕のするべきことだから。
冥福を祈るよりも、葬式で涙を流すことよりも、
きっと大石先生はこれを望まれると確信している。

大石先生と出会ったのは。甲南小学校へ勤めてまもなくの
私学の研修大会だったかな。
小柄で色黒で個性的な「おっさん」だった。
「偉い先生」だったが、反骨精神の強い僕は、
「すぐに追いついて見せる」
と、いきまいていた。
本当に自力がつき始めて、かなり上ってきたという実感を持ったとき、
初めて大石先生が自分の届かない高い頂きにいらっしゃるということが分かったのだが、
最初は、そんな感じの出逢いだった。

厳しい方だった。
僕の友人達もかなり厳しい言葉を浴びせられたが、
なぜか僕には厳しいことはおっしゃらなかった。
僕が弱虫で、打たれ弱いということを見抜いていらっしゃったのかも知れない。

大石先生は、当時、教科書に関わっていらっしゃって
日本作文の会の理事でもあった。
本来は雲の上の人なのに、
「多賀さん、京都に遊びにきいや」
と、かわいがってくださった。
粋人だった。
祇園を歩いていると、舞妓さんや芸妓さんが
「やー、大石先生。ごぶさたどす。どないおしやすの」
と、挨拶するのには、驚いた。
なにしろ、何かの雑誌の特集グラビアで祇園の舞妓さん特集したときに
全ての舞子の紹介文を大石先生が書いたのだから。
京都の美味しいところへ連れていってもらい、
舞妓さんと話をさせていただきと、
僕が京都の夜の町に詳しいのは、そういう導きがあったからだ。

一緒に遊んだ思い出ばかりが出てくる。
大石先生との出逢いがなければ
僕は幅の狭い、教師馬鹿になっていただろうと思う。

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