落ち着きのない子ども

Posted By taga on 2016年7月30日

一人を読み解く
僕の通知表には、著書にも書いているが、
本当に毎年、
「落ち着きがない」
と、書かれている。
よほど落ち着きがない限り、こんなことは書かれないだろうに。
その当時、僕はどういう感覚だったんだろう。
今、教室で落ち着きがないと言われている子どもたちの思いに
僕は近いのではないだろうか。

自分を紐解くことから、何か見えてくるかも知れない。

幼児期に、児童相談所へ連れて行かれたことがある。知能指数も測ってもらって、138だったそうだ。
当時の測定だから、本当のところは分からない。
なぜ、そこへ連れて行かれたか。その方が、問題である。
「ずっとおしゃべりをして、おしゃべりがとまらない」からだそうだ。
結論として
「英語でも習わせましょう。」
ということになって、僕は英語を教わりに個人の先生のお宅へうかがうことになった。
その英語のおかげで、僕は発音記号で単語を読むことが出来るが、
英語は真面目に勉強しなくても中学一年生まではできたので、
かえっていいかげんになって、大学受験で苦しむことになる。

小学校当時を振り返ると、僕自身は落ち着きがないという感覚は全くなかった。
自然にふるまっていただけだと思う。
ただし、授業中がとてもつまらなくて、退屈して、いろんなことをしていたかも知れない。
授業に集中したという記憶がない。
常に鉛筆の後ろをかんでいて、ぼろぼろだった。
教科書のはしっこをちぎって食べる癖も、ひどかった。それは、家でも同じだった。
神経症だったのかも知れない。
貧乏ゆすりもよくしていた。
学校に必要のないものを持ってきて、よく叱られた。
ミニカー、シール、パチンコ、ほとんど見せびらかすために持って行っていたように思う。

二年生の担任からは、
「私はこの子の面倒は見られません。」
と、言われたそうだ。
僕はその若い女の先生が好きだったから、全然悪いイメージはないんだけど、
母は、懇談でそう言われたらしい。

その割には、毎年のように学級委員長に選ばれていた。
当時は立候補なんてシステムがなかったから、「なりたくもないのに、させられている」感が強かった。

「落ち着きがない」「ちょろちょろしている」「一言、多い」というのが、大人が僕を評するときによく使う言葉だった。
今だと、「多動」だとか「AD/HD」だとか、言われるのだろうか。
そういうように呼ばれる子どもたちの中に、僕の子ども時代を彷彿とさせる子どもたちが、たくさんいる。

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