10箇条

「多賀マークのしかり方・ほめ方10箇条」

 2009年 10月22日

 若い先生に毎年のようにたずねられるのが、「子どもの叱り方が難しい」「私はほめ方が下手で・・・。」ということ。6年前にまとめたものを、もう一度今の学校の現状に合わせて作り直してみた。

① 叱るときは、全力で叱る。 

 そうすれば、一日にたくさんは叱れない。先生も疲れてしまうから。子どもも、全力でこられると、聞き流せない。ただし、大声や罵倒は、体罰に近くなるから、気を付ける。 

② ほめるときは、ほめきってしまう。

 ほめているのかどうか分からないほめ方をする人がいる。「ここはほめてるんだけど、ここはだめだ・・・」などというほめ方では、ほめられた実感はわかない。ほめるときは、ほめるだけに徹する。

③ ほめるときは、場面を設定して。

 せっかくほめるのだから、それが効果的になるようにセッティングする。教師は、ある意味で学級のプロデューサーだから。

④ 叱ったときに、嫌われていないんだということをちゃんと伝える。

 叱られた子どもは、自分が先生に嫌われているんじゃないかと思いこむことがある。「君

のことが嫌いだったら、叱らないよ。」と語ったり、叱った後、帰るときには言葉かけを

してあげる配慮が必要。叱りっぱなしは、ダメ。

⑤ 子どもたちの気づかないところでがんばっている子にスポットをあてて、ほめる。

 大人だから、教師だから見つけられることもある。

⑥ ほめ方も、子どもの個性に合わせて。

 子どものなかには、(特に高学年)人前でほめられるのが嫌いなこどもがいる。

そんな子どもには「先生は分かっているよ。」と伝えることで、認めたい。

⑦ 繰り返し叱ることは、避ける。

 「なんべん言ったらわかるのか。」というのは、愚かな言葉。何度も言うから、よけいに伝わらない。

⑧ 叱るときは、自分主語で叱る。

 「先生がそういうことはいやなんだ。」「僕は、そういうことを見ると気分が悪くなる。」など、教師主語で叱ることで、子どもの人格を否定しない。

⑨ だれかを教室でほめることが、クラスの喜びになるように学級教育をする。

 ほめることも、しかることも、クラスにとっての意味を考えておかないと、個人主義になってしまう。

⑩ ほめるねうちのあることを見つけて、ほめる言葉でほめる。

 当たり前のことをほめても、子どもはうれしくない。また、「きょうは、がんばったね。」というと、「きょうは、ということは、ふだんはがんばっていないということだね。」と、逆のメッセージになることもある。

実践編

 具体的にどういうことか分かりにくいこともあるので、実際にあったことを具体例としてあげたい。

③ ほめるときは、場面を設定して。

「せっかくほめるのだから、それが効果的になるようにセッティングする。教師は、ある意味で学級のプロデューサーだから。」

◆ 一年生をもっていたときのこと。石田君(仮名)という子どもがいた。キックベースをしていたらルールの分からない女の子に厳しいことを言って、みんなから「ひどいやつ」と言われる。悪い子じゃないんだけど、元気すぎて友だちとトラブルになる。そんな子だった。

 バスで遠足に行ったときのこと。夏休みにトラックに足をひかれて複雑骨折したため、10月になっても足を引きずりながらでないと歩けない、佐藤君(仮名)という子どもがいた。列から一人、どうしても遅れてしまうのだ。

 列の後ろの方で様子を見ていた僕は、あることに気づいた。石田君が、先生に怒られないかと顔色をうかがいながら列を少しずつ離れて、佐藤君のすぐそばまで近づいていったのだ。何か話しかけるわけでもない。ただそばにいるだけである。

 「なるほど。そういうことか。」

  バスにもどると、僕はマイクを借りて、わざと厳しい声で、

「先生から話があります。静かに座りなさい」。

と言った。

 わいわい騒いでいた子どもたちが、しんと静まりかえった。

 先生にまた何か叱られるのかな。騒いでたからかな。・・・・。

 「歩いてバスにもどってくるとき、足の治っていない佐藤君が、みんなから遅れてひょこたんひょこたんと歩いていました。気づいていましたか。すると、石田君が先生に怒られないかと心配しながらも、列から離れて佐藤君のそばを歩いてくれました。佐藤君を一人にしないように心を遣ってくれていたんですね。やさしいなあと、先生は感心しました。」

  一瞬の間をおいて、子どもたちから拍手がわき起こった。

「石田、いいぞ!」

と、大声で叫んだのは、キックベースのときに石田君を責め立てた子どもたちだった。

 実践編②

④ 叱ったときに、嫌われていないんだということをちゃんと伝える。

 叱られた子どもは、自分が先生に嫌われているんじゃないかと思いこむことがある。「君

のことが嫌いだったら、叱らないよ。」と語ったり、叱った後、帰るときには言葉かけを

してあげる配慮が必要。叱りっぱなしは、ダメ。

◆ 一年生の担任になると、お帰りで教室から出るとき、必ず僕は教室の出口に立って、子どもたち一人一人と声を交わすことにしている。

 服装がだらしない子どもは、きちんと直してあげる。「顔面つぶしして」と頼む子には、プロレス技を軽くかける。何もしゃべらない、目立たない子どもには、その日一生懸命さがして見つけた、その子に関することを「今日、・・・してたね。」「○○さんとぶつかって、大丈夫だったかな。」などと、話しかける。毎日、ジャンケンするのが楽しみな子どももいれば、「だっこして」と、ハグを求めてくる子どももいる。

 特に気を付けるのは、厳しく叱った子どもだ。

「叱られたら、すっきりしたんじゃない。」

と言うと、にこっと笑う。

 悪いことしたなあと落ち込んでいる子どもには、

「明日は、新しいあなたになって、おいで。待ってるからね。」

とか、頭をなでながら、

「○○ちゃんにあやまったんだから、もういいよ。」

と、言葉をかける。

 大切なのは、前を向かせることと、具体的にどうすればいいかを教えてあげること、そして何よりも、叱られても先生との関係は壊れないんだよ、というメッセージを伝えてあげることだと、考えている。

実践編③

⑥ ほめ方も、子どもの個性に合わせて。

 子どものなかには、(特に高学年)人前でほめられるのが嫌いなこどもがいる。

そんな子どもには「先生は分かっているよ。」と伝えることで、認めたい。

◆ どの子にも同じアプローチでうまくいくなどということは、教育ではあり得ない。相手は人間なのだから。だからこそ、教師は子どもたちを日々、よく観察しなければならないし、子どもの背景(家庭環境、家族関係・人間関係)というものを頭においておかなければならない。

 高学年の女の子には、思春期に入っている子どもも多い。異性に対する関心も強くなっている。例えば、みんなの前で叱りとばすと、先生の言っていることが正しくても、受け入れられない。

 好きな子の前で恥をかかされたという気持ちの方が強くて、素直に話は聞けないのが当たり前である。

 また、高学年になってくると、人知れずに善行を積む子どももいる。教室の雑巾かけをそっと直したり、遊んだ後の片付けをさりげなくしていたりする。

 こういう子どもたちにスポットを当てるのもいいけれど、子どもによっては、「みんなの前で言われたら、かえってできなくなる。」という子どももいる。そんな子どもたちには、そっとそばに行って、何気なくその子にだけ聞こえるように

「いつもありがとう」とか「ご苦労さん。」とかいうようにしている。

 誰かが見ているものだよ、という言葉かけは、その子の行為に勇気を与えると思っている。

  実践編④

⑧ 叱るときは、自分主語で叱る。

 「先生がそういうことはいやなんだ。」「僕は、そういうことを見ると気分が悪くなる。」など、教師主語で叱ることで、子どもの人格を否定しない。

 ◆ 自分主語で叱るというのは、心理学ではときどき言われること。僕はよく保護者会でおうちの方々に話をする。

 子どもを叱るときは・・・相手主語ではなく、自分主語にしましょう。そうすれば、子どもは傷つきません。子どもの人格を否定する叱り方をするということは、他の子どもに対してそういうやり方(人格否定の言い方)をしなさいと教えていることになりませんか。」

× あなたが悪いんでしょ。

× あなたは、いつもこうなんだから。

× (あなたは)最低だね。

× (あなたの)せいで、こんなことになったのよ。

◎   ママがそういうことは、いやなの。

◎   (わたしが)すごく腹のたつことよ。

◎ ママがいやだから、やめて。

  した行為を責めたり、した人間を責めたりすることでは、なかなか前には進みにくい。したことがどういう意味を持つのか、相手がどういう感情を持つのか等を考えさせることの方が重要で、そのためには、子どもが自分で立ち止まって見直せなくてはならない。人間、自分の人格を否定されてなお、客観的に考えることなどできないと思う。

 ただし、いじめや差別に関することは、別に考えるべきではある。ゆるせないこと、止めなければならないことだから。

実践編 ⑤
⑨ だれかを教室でほめることが、クラスの喜びになるように学級教育をする。
 ほめることも、しかることも、クラスにとっての意味を考えておかないと、個人主義になってしまう。

よく「子どもをほめる」と言うが、これがまた難しい。
 ちょっと良いことを見つけると、すぐに飛びついて学級で取り上げる。これは二流のすること。
 教育には「あたためる」ということが必要だ。
 子どもの「良いこと」は、一つの材料である。その子どもの置かれた学級での立場。その子の今の気持ち。学級が抱えている問題と目指している方向性。そういうものをよく考えて料理の仕方が決まっていく。
「今、これを取り上げても、他の子どもたちが受け止める土壌がない。」
そう判断したら、少し材料をねかしておくのだ。

 教室でKYと呼ばれている子どもがいた。ここというときに限っていらないことをして、先生に叱られる。みんなに文句を言われる。でも、実はこの子のKYとよばれている行為が、クラスにとって、潤滑油になったり、みんなに救いを与えたりしていることに、僕は気づいていた。

 ある日、子どもたちを強烈に叱ることがあって、怒ってしまった僕は、振り上げた斧の卸どころが分からなくなった。そんなときって、ないだろうか。
 教室でただ一人の大人である教師は、独裁者でもあるから、いったん手を振り上げると、自分でおろせなくなることがある。
 すると、例の子どもが、突然やってきて、
「先生、おしっこ、がまんできないんだけど・・。」
もじもじするおかしな姿に、つい笑ってしまった。
「行ってこい」

 クラスの子どもたちが
「KYやなあ。先生おこってんのに・・・。」
と言う・。

「あのね。今、先生はすごく怒ってたでしょ。でも、つい○○君の姿に笑ってしまって、起こる気がしなくなった。みんな助かったね。クラスのムードが変わったよね。ときどき、そんなことあるよ、彼にみんながたすけらけてること。」
と言うと、子どもたちが口々に「そう言えば・・・」と言う例を出してきた。

 彼が教室に帰ってきたとき、みんなから拍手がわいた。
「え・・・・。なんのこと。」
きょとんとする彼の姿をみんながにこにこして見ていた

 

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