多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

今年も本の会を神戸で

Posted By taga on 2018年8月15日

恒例の本の会も14回目
毎年、このときのために箱にためておいた本たちを取り出してきて
テーマを考えていく。
不思議とテーマがつづられていくものだ。
阪神深江駅の近くの深江会館で昼の1時から。
僕に声をかけて下さればどなたでも参加できます。

「生きているということ」
①よりそうということ
②願うということ
③問いかけること
④不思議を信じること
⑤物語が物語を生むということ
⑥別れと出逢いがあるということ
⑦答えはないということ
⑧怖いこともあるということ
⑨人間は複雑だということ
⑩夢を見るということ
⑪排除するということ
⑫言葉を大切にするということ
⑬かけあう、分けあうということ

「魅力ある教師でいるために」

Posted By taga on 2018年8月11日

9月1日、
福岡で中村健一さんとセミナー。
二人会は久しぶり。
昼から参加もOK。
新学期のスタートにいろいろ充電しよう。

申し込みは下記から。

https://www.kokuchpro.com/event/7a67ad5d941ff00569a718c5b25e7909/

力を残さない

Posted By taga on 2018年8月4日

高校の陸上部の会報が届いた。
同期の友人、森茂伸くんの文章が載っていた。
そこに当時の陸上部顧問、谷川あぐり先生のお言葉をあげていた。
久しぶりに思い出した。
「ラストスパートまでに力を残したらあかん。
ラストのことを考えずにいけるとこまでいくんや。
そしてラストはもがきにもがく。
それが昨日より少しでも強くなる秘訣や。」

そうだった。
長田の陸上部はペース配分なんて考えずに
いけるところまでいってから、もがくんだった。
400mのラストは、いつも「けつわれ」という状態だった。
最後の直線には余裕がなく、
酸欠状態だった。
余裕でゴールを流したことなんてない。

生き方かあ。
僕らは生き方を学んでいたんだなあ。

人生のゴールに向かって、
僕は今をもがく。
最近いろいろと考え事をしていて
悩み落ち込んでいた。
しかし、そんなこと考えずに、もっともがこうかな。

お門違い

Posted By taga on 2018年7月23日

若い人に
「お門違い」だと言われた。
全く面識のない人間が
僕のFacebookの投稿に対してのコメント。

どんな考え方を持とうとその人の勝手だが、
物事には筋道がある。
倍以上もの年上に対して
その物言いは失礼であろう。
しかも、公の投稿に対してである。
僕は若手には寛容な方だと思う。
言葉遣いも大して気には止めない。
ため口でもいい。
しかし、これは論外。
知りもしない人間から上から目線で言われる筋合いはない。
それこそ、お門違いである。

『孫子に学ぶ教育の極意』

Posted By taga on 2018年7月14日

この本は、書いていて学ぶことが多かった。
教育というものを孫子の兵法という視点からに読み解いていくと
新たな学びと言うものもいくつかあった。
自分では価値のある一冊になったと思っている。
一部紹介する。
「① 教育とつながる孫子の精神
戦わずに勝つ

      「百戦百勝ハ善ノ善ナルモノニアラズ」

 「孫子」では戦わずに勝つことを最善の策と考えていました。
百回戦って百回勝ったとしても得策ではない、戦わないで敵を降伏させることこそが一番なのではないかと問いかけています。
 若い教師はすぐに戦いたがるものです。
僕自身がそうでしたから、あまり偉そうには申せませんが、勝負して勝つことに酔ってしまうのです。

 ある若手の教師が個人面談から職員室に戻ってきました。そして、こう言い放ちました。
「ばっちり言いたいことを言ってやりました。親はぐうの音も出ませんでしたよ。すっきりしました。」
子どもの問題行動について、保護者に具体例を突き付けてぼろくそにけなしたのです。
彼の顔には勝利の喜びが浮かんでいました。

 僕はそれを聞きながら恐ろしくなりました。その後のことを考えてしまったのです。
 懇談から帰った保護者は、わが子にどんな対応をしたのでしょうか?落ち着いてじっくりと語り合えたのでしょうか?
その子どもは立ち直るきっかけを持つことができたのでしょうか?
 確かなことは分かりませんが、完膚なきまでに保護者をやっつけてしまって、
その結果が良かった等ということは、僕には一度もありませんでした。
 若い頃は、保護者になめられたくないという気持ちが強いものです。
よけいな戦いを挑んで勝とうとする気持ちが強くなるのはよく分かります。
けれども、保護者と戦うことで教育者としてプラスになることは何一つないのです。
(ただし、強烈なモンスター・ペアラントについては、戦うべきときもあります。)先生への恨みだけが残るかも知れません。

 では、どうすれば戦わずに勝てるのでしょうか。具体的には第三章の「対保護者」のところで述べることにします。

九月二日は、文学教育を考える会

Posted By taga on 2018年6月25日

文学教育について石川晋さんと話をしていて、
「やはり、この人は文学教育を語れる数少ない教師の一人だな。」
と思った。
正直、文学教育について何も分かっていないのに
分かっていないことを
「今の時代には必要ない。」
と胸を張ったり、
本質を考えようともせず、
ネタや方法論に手を出している方々がいる。
しかも、そういう方は変に声が大きいので
若い人たちにも影響する。
真摯に文学教育について考えようよ。
というセミナーをする。
晋さんが中学の視点から
僕が小学校の視点から
お互いの文学教育への考え方を出し合う。
このために僕はもう一度自分のノートや基本書籍を読み返した。
昔から論争されてきたことも
今からを語るために語るつもりだ。
文学教育を考える一日に。
日曜日なので、終了は16時にした。
申し込みは、コクチーズから

https://kokucheese.com/event/index/523724/

なんのためのセミナーか

Posted By taga on 2018年6月23日

僕は、まだまだ甘いなあと思わされた。
今日、ピンクシャツデーのセミナーがある。
思ったほど人が集まらなくて、帯広や札幌から自腹を切ってきてくれる千葉くん、西村弦くん、大野くんに申し訳ないと
メッセージ送ったら、千葉君からこういう返信が来た。

「最初から参加者のニーズをねらったセミナーでは、成功の可否は参加者数によるところが多いと思います。
でもこちらの発信優先のものなので参加者数は二の次かと思っています。
いじめについて訴えて、それを受け取った教師が子どもや周囲に対して新たな視点で接する。
こういった場を設定していただくことで、確認しようはないけれど、
いつかどこかで子どもの命を救うことにつながるかもしれない。
確かめようはないけれど、でもその可能性はある。そう信じてやってきました。
地震後で大変なときにかかわらず参加してくださる方々に満足していただけるように頑張りたいと思います<(_ _)>」

僕とは覚悟が違うんだなあと思った。
そう。
僕が神戸でセミナー企画するのは、
優れた教師、本物の教師たちに関西の先生方に出会ってほしいから。
ネタや方法論ではなく、真摯に子どもや授業に向き合うことを
若い先生方に伝えたいから。
誰でもが質の高い実践に触れる機会を作りたいから。
であったはずだ。
改めて自分の覚悟を問い直されたような気がする。

今日、明日、この地震の不安の中で参加された先生方に
精一杯のセミナーを提供する。

パワハラ

Posted By taga on 2018年6月17日

ここ数日、パワハラ案件が多数
僕の耳に届いている。
パワハラ加害者の論理は、こうだ。
「本人(被害者)にも問題がある。」
「コミュニケーション不足だった。」
根本的に、分かっていない。
というよりも、
加害者側の常套句なのだ。
パワハラは、理由があれば仕方ないという類いのものではない。
そして、犯罪にもなり得るものだ。
この感覚は、いじめ案件に似ている。
いじめの加害者たちは、一様に
「被害者にも問題がある。」
「ふざけていたつもりだったけど、コミュニケーション不足だった。」
というようなことを言う。
パワハラを容認する教師集団に
いじめへの思いを語る資格はない。
どちらも人権問題であり、
大切なのは、
寄り添うということじゃないかなあ。

7月21日、大阪の読み聞かせの会

Posted By taga on 2018年6月2日

恒例の桜田さんと一緒の読み聞かせの会。
ここでは、ゆったりと読み聞かせをする。
今年は、「人生の贈り物」として
選び抜いた絵本たちをコーディネイトした。

https://www.kokuchpro.com/event/de4f4d47db9c2c5d3ff25b64da31bf54/

教科書を使った道徳

Posted By taga on 2018年5月31日

道徳が教科化されて
とりあえずは教科書を使って授業をすることが中心だ。
僕も6月、7月と道徳の授業をさせていただくが
教科書をどう使うかという授業を示す。

教科書も中途半端だけど
指導書はもっとひどい。
例えば、「感動、畏敬の念」という項目に対しての
「美しいもの、気高いもの」がテーマの授業で
最初の発問として示されているのが
美しい花や自然の写真を見せて
「花や植物などの自然を見ると、どのようなことを感じますか?」
ということ。
これから、人の心の美しさや気高さにつなげていくというのだ。

花を美しいと思うことと人間としての美しさは概念が全く違う。

このように、そのままやるとおかしなことになったり
次につながらなくなったりするものが多い。
教科書批判をしているのではなく、
そのまま使うことが難しいと言いたいのだ。
教科書自体は縛りが大きくて、隔靴掻痒になりやすい。
それは教科書の宿命だ。
教科書は使うけど、指導書の通りにはしないという考え方が必要だ。

足りない部分を授業の工夫でどうしていくかということだ。