多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

愛するということ②

Posted By taga on 2018年4月23日

「私は子どもを愛しています。」
「子どもを愛さない親なんていません。」
等ということは、誰にでも言える。
そういうお母さんの子どもがいつもぼろぼろの服を着ていたら
髪の毛も全く手入れせずに学校へ来ていたら、
それを「愛」と呼んでいいのだろうか。

愛していると伝えなければ
愛を感じることはできない。
「愛があれば、きっと通じる」ということも、ない。
愛されているという実感のない子どもは不安定になる。

愛は見える。
愛は聞こえる。
愛は触れることもできる。
見ざる聞かざる触れざるは、愛とは言えない。
見えて聞こえて触れ合って
初めて、人は愛を実感できる。
愛には形があるということだ。

愛するということ

Posted By taga on 2018年4月22日

子どもを愛するって、どういうことだろうか。
恩師、佐守信夫先生は、
「人間だけが愛を持っている」
と、おっしゃっていた。
「ペンギンの親は何週間も食べ物も食べずに卵を守り続けます。
でも、それは愛ではありません。
なぜなら、それは本能だからです。
どのペンギンもそうするように遺伝子に組み込まれているのです。
しかし、人間は生まれたばかりの赤ちゃんをコインロッカーに捨てる親もいます。
選択肢があるのです、人間には。
子どもを大切にする方向を選択することを『愛』と呼ぶのです。」

僕はずっとそのことを頭に置いて教育に携わってきた。
選択できるのが人間の特質であるとするならば、
選択することの意味を伝えていかねばならない。
つまり、愛も学ぶべきものなのである。

中堅の楽しい授業

Posted By taga on 2018年4月17日

5年生の控室に行っていた時
「多賀先生、僕の社会科を見に来てくれはったんですか?」
と、中堅の先生に声をかけられて
ちょうど空き時間だったので、見させてもらった。

最初は起立ー礼の指導。
こういうのを毛嫌いする先生も世の中にはいるが、
追手門はこれでいい。
授業をきちっと始めることは、悪いことではない。
それを怒鳴りつけてさせるのが良くないだけだ。

この先生は声が明るい。
それだけでヒドゥンカリキュラムになる。
一週間で、もう子どもたちが集中して聞いている。さすがだ。
「立って、机の右に立つのはどうしてかな?」
そこから入る。
「室町時代からのことが関係あります。」 (エッ?! そこ?)
「武士は刀を左側に差します。なぜか分かりますか?」
当時の人は全員が右利きだからです。」
子「えーっ!」
「左利きも必ず右利きに強制されました。」
子「二刀流は両方に差しますが・・・。」
「二刀流は実際はできません。同時に抜いたら、両手を斬ってしまいます。(実演)」
子( ´∀` )

こんな調子で、子どもの関係ない質問にもいちいちさらっと対応して、自分の道筋は崩さない。
完全な一斉指導だけれども、ときどき笑が入りながらテンポよく進むので
子どもたちはどんどんついていく。
ボディランゲージあり、メリハリあり。
質問してきた子どもに、その場では対応しきれないとき
「うーん。そりゃ先生も分からないから、調べて来て、明日みんなに教えること。
特別宿題。」
言われた子どももなんとなくうれしそう。

5年の社会科は一時間の情報量がとても多くなるから
こういうテンポは必要なのだ。
親潮と黒潮をしていたときに、赤潮の質問に対して、
「教室を密閉して、5年生全員と6年生も全部入ってきて、全校生も入ってきたら・・・。」
と、たとえが面白い。
こういうのがポンポンと出てくる。
本人は教育漫談と言われますと笑っていたが、
優れた一斉授業だった。

僕が指摘したのは一点だけ。
それもレベルをさらに求めてのことだった。
いやあ、面白かった。

新しい先生

Posted By taga on 2018年4月16日

今年も新任の先生がやってきた。
最初の授業。
思っていたよりも、はっきりとした言葉で
後ろの方まで声が通っていた。
一週間で声は嗄れてきたけど・・・。

たくさん目につくことがある。
細かいところができていないのは当たり前だ。
この中で、今のこの先生にとって必要なものは何かを選別して伝える。
全部伝えていたら、右往左往してしまうだろう。

工夫して自分なりにがんばっているから、教えがいがある。
何よりも、偉そうな態度で「先生面」しないのがいい。
「黙って立っていても、話は聞いてくれません。」
「そうでしょ。そんな甘いものではないんだよ。」
ベテランは黙って立っていても聞いてもらえるように見える。
明日、『ヒドゥンカリキュラム入門』を貸そうかなあ。
明るくて元気だから、乗り切っていくだろう。
ぶつかってから考えた方がいいと思っている。
「失敗はいくらでもやりなさい。」
そう。
若い先生たちには失うものはないのだから、すべてが学び。

僕が彼女を指差して、
「どんな気持ちがしますか?」
と聞いた。
「プレッシャーを感じます。どきっとします。」
「そうでしょ。だから、子どもを注意するときしか使わない方がいい。
 あなたは、褒める時にも使っている。」

「あなたはすごいね。新任の先生はみんなオウム返しをするんだよ。
あなたは、ほとんどオウム返しをしない。」
「そういえば、他の子どもに、今なんて言ったか言ってみて、と言っています。」
「そんな初任は初めてだよ。ところで、なんでオウム返しがいけないか分かりますか・・・・・・。」
追手門で僕が預かる最後の初任者。
育ってほしいと願うばかりである。

新学期の子どもたち

Posted By taga on 2018年4月13日

新年度が始まり、クラスも学年も担任も代わり、
子どもたちの気分もリフレッシュされています。
学校には新鮮な空気が流れています。
長いこと穴倉にいると、外に出たときの明るさに目がくらみます。
それと同じように、みんなの新鮮な明るい空気になじめない子どもも、
少しではありますが、存在するものです。
不登校だった子どもが学校にやってきた。
それは大きなきっかけとなるかも知れません。
しかし、リハビリに時間がかかることと同じです。
その日からすぐにちゃんとやってこれるようになった、
なんていう単純なことはないのです。
無理のないように、少しずつリハビリするようなものだと
教師もおうちの方も考えた方がいい。
大喜びせず、でも、ちょっと喜ぶ。
期待せず、でも、後ろで支える。
つまずいても、がっかりしない。
つまずきながら、ぼちぼちといければ良い。
学校だけが選択肢ではないが、学校に行けるということは、悪いことではない。
でも、ゆったりと考えて時間の流れを変えてみていくことですね。

リア充にまどわされない

Posted By taga on 2018年4月8日

年度末のリア充投稿には
喜びと充実があふれている。
その年が苦しかった教師には、見るのさえ辛いものだ。
でもね、それが本当にすべてがみえているのかどうかも分からないんだよ。
「子どもたちのサプライズに全く気付かなくて、
とてもうれしかった。」
というような投稿を見ると、
「そのクラス大丈夫なの?」
と思ってしまう。
だって、ほんとにそういう子どもたちの動きに気づけないのなら
陰でいじめが進行していても気づかないんじゃないのかな?

年度当初のリア充投稿にも惑わされる必要はない。
自分の意に沿わないポジションになるときだって、人生にはよくある。
いつもいつも新学期をあでやかにスタートできないときだってある。
僕は、この一年がうまくいかなかったら教師を辞めようと思ったときがある。
でも、そのときに出会った子どもたちが、はちゃめちゃすぎて、
そんなことは吹き飛んでしまった。
四月の当初から、休む間もなくトラブル続き。
でも、今から思えば、その子たちが僕を立ち直らせてくれたのだろう。

教師の仕事がほんとはどういう意味があったのかということは
長い年月を経ないと分からない。
人生の1ページなのだということを頭に置いておこう。

国語力

Posted By taga on 2018年3月20日

わけあって「孫子」を読んでいるのだけど
何度も漢和辞典を引いている。
「周」「北」「迂」「雷霆」「徐か」・・・。
やはり、言葉の元の意味を読み解かないと
書かれていることの本質は読み取れない。
久しぶりに、そういう勉強をすると、
なんだか新鮮。
そして、楽しい。

なんでもかんでも辞典を引いているわけではない。
ここの意味が分からないと、
どうも正しく読めないなと思った時に
調べるのだ。
調べるべき言葉を絞り込むのに、読解力が必要になる。

言葉の意味など少々分からなくても読んでいける力も
読解力である。
しかし、ここというところを読み深めるためには
言葉の一つ一つを追求していくことも大切なのだ。

言葉の意味調べを最初の時間に全部してから
授業を進めていくようなことをしていては
絶対にこのような言語姿勢は身につかないだろう。

最近、国語教師としての僕をディスる人たちがいる。
だいたい一斉授業否定論者なんだけど、
その人たちの使っている言葉が曖昧でずれている。
国語力が足りないと感じる。
そういう方に言われたくはない。

まあ、優れた国語力を持った方に国語教師として疑念を持たれたら
辛いだろうなあ。

苫野さんとの最終章

Posted By taga on 2018年3月6日

3月10日の苫野さんとの会は満席ですが
翌11日の日曜日、東京駅の八重洲ブックセンターで二人の会を持ちます。
対談を重ねて、より深いところをめざします。
こちらへは直接八重洲ブックセンターに連絡してください。
札幌の大野睦仁さんがコーディネイトしてくださいます。
よろしければ、どうぞ。
こちらは80名定員です。

http://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/13712/

『大学では教えてくれない 一年を乗り切る学級づくり』

Posted By taga on 2018年2月21日

■ アマゾンで予約開始になった。 
この本は学級開きの本ではない。
現場で実際に先生の出会う課題をどうするのか。
この時代に教師として生き抜くために必要なことを書いた。
ここには、ハウツーやネタはほとんどない。
※ プロローグ 「夢の破れることがある」一部抜粋
「今の学校現場は、甘くありません。」と、僕は学生たちに語っています。
毎年、たくさんの先生方の相談にのっていますが、多くの若い先生方が苦しんでいます。
「バラ色の教師生活を送っているなどという人は一人もいません。」
とまで言うのは、言い過ぎかも知れませんが、数少ないと断言します。
だから、僕はこの本では、甘いことは書きません。
夢を持って現場に出たその日から、どんどん夢は壊れていきます。よほどいろいろな人間に恵まれることでもないと、苦しみの連続です。
例えば、心許せる同僚、面倒見の良い先輩、おおらかな管理職、素直な子ども達、強力的な保護者等ですね。そういう方たちにめぐまれない限り、いきなり、大きな壁にぶち当たるのです。
■ 初任者が直面する学校現場の現状は、次のようなものです。
 1 話を聞いてくれない子どもたち 
 2 保護者は優しくない
 3 教室の「あの子」の存在感
 4 同僚(先輩)も時には敵と化す
 5 忙しくて何をしているか分からなくなる
これらは、ほぼ同時に起こると言って良いでしょう。落ち着いて一つ一つにじっくりと対応することなんてできません。
そして、その中でくたくたに疲れていきます。
 若い人たちばかりではありません。一般教員が精神疾患で休職する率は、およそ0.6%です。15人に一人は精神を病んで、ほとんどが鬱ですが、休職するということです。各校に二人くらいは毎年のようにそういう先生が出てくるということです。
 そういう世界で生き抜いていくには、覚悟だけではどうにもなりません。真面目さだけでも通じないのです。実際、休職する先生のほとんどは真面目な方なのですから。
 このような現状を踏まえて、そこを乗り切るにはどうしたら良いのかということを考えて、本著を記しました。新卒三年までの先生方に乗り切り方を伝授したつもりですが、中堅の先生もご自分を振り返るというおつもりで読んでくだされば、きっと意義のあることがいくつか見つかると思います。

一年間をやり抜くためのスタートセミナー

Posted By taga on 2018年2月13日

残り10席になりました。
増席はありません。

■新年度への熱い思いと不安で過ごす春休み。
この時間をのんびりと過ごして新年度をスタートできるほど、今の学校は甘くありません。
準備が一年間を制するという気持ちで、新年度に向けての用意を始めませんか。
ネタだけではなく、現場を生き抜く心の持ち方についての発信を続ける土作さんと
、現場をたくさん回って教師教育に力を入れている多賀の二人で、丸一日をコーディネイトします。
一部と二部に分けて、前半では一年間を生き抜いていくための子どもの見方や教師としての在り方を。
後半は具体的な学級、授業開きについてのネタやアイデアをたくさん提供します。
これからが不安な若い先生、リセットしたい先生、一緒に歩みませんか。
■ 9時10分開場 第一部 「教師として一年間をやり抜くために」
9時30分~10時40分 オープニング込みで  多賀 
10時50分~11時50分 土作
  昼休み
■ 第二部 「一年間を見通した学級開き、授業開き」
13時~13時45分 学級開きのネタ・・・土作
13時55分~14時40分 学級開きに必要なこと 再考・・・多賀
14時50分~15時35分 授業開きのネタ・・・土作
15時45分~16時30分 授業開きで考えておくこと・・・多賀
16時30分~16時50分 リフレクションタイム

※ 申し込みは下記から

http://kokucheese.com/event/index/503722/