多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

きちんとしたクラスは嫌い

Posted By taga on 2023年1月8日

朝、散歩しながら考えた。
アスファルト、昨夜降った雨で濡れていた。
歩きだすと、滑って危ない。
気温はマイナスなので、
凍っているのだ。
見た目には分からない。
濡れているだけにしか見えない。
一歩ずつ慎重に足をしっかりと踏み入れながら、
これって、学級に似てるなあとー。
昨年は、三十校ほどの学校で授業をした。
やりにくいクラスが二つあった。
見かけは整然としていて、
落ち着いているように見える。
でも、反応がイマイチ。
伸びやかに子どもたちが反応しない。
だいたいは、最初に緊張緩和と僕への親和性を高めるため
アイスブレーキングから入る。
それで子どもたちをつかんで授業を進めるのだが
自由な反応の薄いクラスでは
なんか子ども一人一人が透明のケースに入っているような
そういう感じを受けてしまう。
ところが、管理職の評価は
「あの先生はよくやってくれています。」
となるのだ。
ガチャガチャしていて、落ち着かないように見えるクラスの方が
僕にはずっとやりやすかった。
なんだかなあ。

若い頃の実践

Posted By taga on 2022年12月17日

若い頃、三十代までの実践は
ほとんど今の僕には使えないものばかりだ。
つたない実践。
穴だらけの実践。
そのときは、最高のものを作り上げた気になっていたが
今見返してみると、
お恥ずかしい内容が並ぶ。

若い頃って、経験が圧倒的に不足している。
1000メートルの山に登って見る景色と
3000メートル級の山に登って見るそれとは、全く違っているのだ。
見える範囲も全然違う。
そこに至るまでの汗や体力も全然違う。
1000メートルの山に登って
「山は素晴らしい。」
と言っているのは、3000メートル級の山々を登ってきた人から見れば、
「ただのハイキングだね。」
という感じかなあ。

だからといって、若い頃に必死で作った実践に意味なんてないということも、絶対にない。
教育という道を歩んでいたら、
常に前を向いて努力し続けていれば、
若い頃の実践は無駄ではなくなるのだ。

僕の先生⑤

Posted By taga on 2022年11月30日

6年生担任の小林昭仁先生は
僕の結婚式に主賓として
来ていただいた。
毎週日曜日の朝、
近くの高取山に登山。
有志だけが集まって、
朝食のパンを持って登山口に集まり
頂上目指して歩いた。
明るくて楽しい先生だった。
校長で退職された後、
愛徳学園の教頭になられた。
私学の研究大会が愛徳であった時に
僕が指導助言者として前に座っていたら
「一郎」との声。
にこにこ笑ってる小林先生がおられた。
やりにくかったなあ。
恩師を前にして
偉そうな話をしなきゃならないなんて。

僕の先生④

Posted By taga on 2022年11月4日

四年生は女のベテラン先生。
母は気が合ったみたいだけど、
僕は、厳しい先生だなとしか
思えなかった。

五年生では、男の先生。
静かな先生だった。
僕は特に交流はなかったが
尊敬していた。
当時、不良グループがあって、
五年生で一番の小柄な子が
そのグループに引き込まれかけていた。
先生は、本気で怒って、
阻止しようとしておられた姿が
印象に残っている。

僕の先生③

Posted By taga on 2022年10月29日

三年生のときに、男の先生になった。
キリスト教徒で、当時としては珍しい
体罰を一切しない男の先生だった。
今でもよく覚えているが、
悪いことをした子どもに、その子を殴る代わりに先生自身を叩かせて
泣きながら、
「もうしません。」
と言うまで自分を叩かせ続けていた。

その愛ある先生を僕は泣かせてしまった。
その先生は吃音があって、
ときどきどもってしまうのだ。
僕は、その先生がどもった時に
「教師やったら、ちゃんと話さないと!」
と言い放った。
先生は顔を背けていたけれど、
確かに泣いていた。
ひどい生徒だよね。
思い出すと、心が痛む。

僕の先生②

Posted By taga on 2022年10月24日

一年の担任はベテランの女の先生。
母は仲良かったみたいだけど、
僕は何とも思ってなかった。
一つだけ覚えているのは、
劇で、僕はミツバチ四人の一人。
黄色いティーシャツに黒いビニルテープを貼って
出ていた。
練習で同じことを繰り返すので
「何回やったら、いいの。」
と文句を言ったら、凄く叱られたことだけ
覚えている。
二年の担任の女の先生は、
僕は好きだったんだけど
母は懇談で
「私は、この子の面倒はよう見ません。」
と言われたらしい。
まあ、毎年一学期の通知表の所見には
「落ち着きがありません。」
と書いてあった。

僕の出会った先生

Posted By taga on 2022年10月23日

僕は幼稚園中退です。
最初は板宿幼稚園に
通っていました。
でも、途中から行かなくなってしまいました。
母が言うには、
「園長先生の態度が嫌いだから行かない
と言ったので、辞めさせた。
親のいるときと、いないときで、
全然違うから嫌だと言うので。」
当時からこましゃくれた
ガキだったみたいです。

言語が差別を助長する面がある

Posted By taga on 2022年10月18日

例えば、ヘレンケラー。
彼女の中に
めくら(blind)
黒人(nigger)
という言葉が入ってくるまでは、
そうした存在も知らないのだから、差別があるということは彼女の中には存在しなかった。
言語は、特定の連環を持って成立してくる面がある。
だから、言葉を学ぶときは、偏らないようにしなければならない。
だからこそ、複数の国語辞典を引く意味がある。

真っ赤なペンキは、外側だけ赤くする

Posted By taga on 2022年10月16日

真っ赤なペンキを塗れば、
そのもの自体も真っ赤になるのかというと、そうではない。
ペンキで塗られたから
色がついただけに過ぎない。
自分の意志でぬぐおうとすれば、ぬぐえるし、
いつかペンキそのものは風化していき、はげていく。
同じように
どうしようもない教師に教えられたとしても、
子ども本人に意志が形成されていれば、
反面教師として自分のプラスに変えていくことができる。
自分で考えて、自分で判断し表現すること、
これがその子の人生を豊かにするのだ。

知らないことは意地悪になる

Posted By taga on 2022年10月11日

「知らないことは、意地悪になる」
僕はこのことを子どもたちに言い続けてきた。
今から三十年以上も前に頂いた見知らぬ方からのお手紙。
「はじめてお便り申し上げます。
私は障碍を持った12歳の男の子の母親です。
私の息子は生まれつき、きちんと他の子どもたちのように話せません。
ときどき大声を出したり、アウアウという声も出します。
 それでもなんとか中学生になったので、自分の力で学校(養護学校へ通っております)へ通わせようとし始めました。
芦屋駅までは私と一緒にまいります。そこで、自分で切符を買い、電車に乗って住吉駅までまいります。
私は離れた所にいながら、ずうっとついていっています。
あの子が人様に迷惑をかけないだろうか、ああいう子だから、人に笑われたりしないだろうか、と気になってじいっと離れた所から見つめております。
 先日、お宅の学校(甲南小学校。)の三年生ぐらいの子どもたちが、うちの子を指差して笑っていました。
私は胸が潰れるようなつらい気持ちになりました。
あの子がいったいどんな悪いことをしたのでしょぅか。ただ変だというだけで笑われている子どもを見るのはとても悲しいものがあります。
あの子たちはうちの子どもがにたにた笑いながら、どんなに一生懸命に生きているのか知らないのでしょう。
 どうか、子どもたちに、そのことを教えてやってほしいと思います。そして、笑われている子どもには親がいて、とても苦しい思いをしているということもー。
よろしくお願いします。」