多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

「含羞」

Posted By taga on 2017年4月24日

新聞を読んでいて
久しぶりにこの言葉に出逢った。
日本的な美しい言葉の一つだと思う。
羞恥とも違う、
そこはかともなく感じる恥ずかしさかなあ。
この頃、含羞とは程遠い言動を多く見かける。
自分の経験したこともないことを
想像で雑誌に投稿する。
自分の力だけではなしえないことを
さも独力で達成したかのように語る。
恥ずかしさが感じられない。
言葉は心とともにある。

第2弾 発刊

Posted By taga on 2017年4月23日

『女性教師の実践から、これからの教育を考える』
いよいよ発売。
今回は、本当にいろいろなタイプと年齢の先生に
書いて頂いた。
僕がこのシリーズを企画したのは、
何度か話しているが、
やはり、
「私は子どもになめられます。どうしたらいいですか?」
という若い女性教師の言葉からである。
そういう思いの先生方に
なんらかのメッセージが届けられたら
幸いだ。

遊ぶなら、今、四月にこそ

Posted By taga on 2017年4月19日

新任研修で必ず言うことの一つ。
「どうせ大した授業はできないんだから、
せめて子どもたちとよく遊んで仲良くなりなさい。
いざというときには、子どもとの関係がものを言います。」
遊ぶなら、忙しくて時間のとれない
この四月のスタート時期こそ。
子どもたちに
「この先生は自分たちとよく遊んでくれる。」
と、印象づけることだ。
最初のうち忙しくて遊べなかった先生に、やっと時間ができて
子どもと遊び始めても
子どもたちは「きまぐれ」とか「暇なんだな」としか
受け取らない。
四月からずっと遊んでいた先生の手が回らなくなって
遊べないときは
「先生、忙しいんだね。」
「また、遊んでね。」
という言い方をする。
四月にこそ、子どもと走り回るべきだ。
子どもは教師にとって最大の庇護者である。
教師は子どもたちを守る存在だが
実は、子どもたちに護られる立場でもある。
保護者のクレーム、
管理職や同僚からのハラスメント、
「もう学校に行きたくない」と思うことだってある。
そんなときに、子どもたちの存在が
教師を学校へ引き寄せる。
子どもたちが助けてくれる。

思い出した!

Posted By taga on 2017年4月17日

児童相談所へ行ったことがある。
いやいや。
担任している児童の問題ではなくて、
僕自身が5歳の時。
あまりにも口がうるさくてやかましいので
母が連れて行ったそうだ。
近所のおばさんに
「ぼうや、あんよがおじょうずね。」
と言われて
「大人のくせに、『足』のこと、『あんよ』だって、おかしいの。」
と言うような生意気なガキだったらしい。
「こんな子、どうしたらいいのでしょうか。」
すると、所員の方が
「しゃべりたくて仕方ないのだから、
英語でも習わせなさい。」
と言われた。
だから、僕は、英語を習い始めた。
だから、実は、発音記号なるものが読めるので
英和辞典で読み方を理解できる。(ちょっと自慢)
ところが、中学に入ったときに、勉強しなくても100点がとれたので
全くまじめにしなかったら、
英語の成績がぐんぐん落ちて、
高校では赤いアヒルがつくようになった。

『女性教師の実践からこれからの教育を考える』学事出版

Posted By taga on 2017年4月9日

今月末にいよいよ第2弾発刊。
■ 前書きから(一部抜粋)
第二弾として、現場の生の実践を語ってほしいと、五人の女性教師に執筆を依頼しました。
宇野さん、藤木さんのようなある程度完成された実践家とは違い、
発展途上の先生方です。
年代は、二十代後半、三十代の前後半、四十代の前後半と広い範囲の方々です。
人生経験も働く地域もさまざまです。
九州、関西、北海道で、それぞれの個性を活かしながら日々がんばっておられる方々ばかりです。
教師としてのタイプも全く違います。
それぞれに、ご自身の立ち位置、学級づくりや授業でのポイント、自分を支えている根本など、語っていただきました。
女性の先生方がこの本を読まれるときは、ぜひ、ご自分のたどってきた道、歩んでいる姿と照らし合わせながら読んでみてください。
どなたかの話と重なる処がきっとあり、共感できるのではないかと思います。
また、男性教師は同世代の女性陣がどのように教師としての力量を形成しているのか、考えることができるでしょう。
それは、今の自分、これからの自分に活かせることだろうと思います。
共感したり、反発したりしながら読んでくださって、いろいろな議論が起こることで、
これからの学校教育の在り方をさぐっていくことを期待します。
それが「女性教師から学ぶ」ということだと思っています。
また、武庫川女子大学の藤本勇二先生には、女性教師を現場に送り出し続けているという立場から、
女性教師の「今」と「これから」を語っていただきました。
深い愛情を持って教え子たちを育ててこられた先生だからこその教師論は読みごたえがあります。
そして今回はさらに、女性管理職にも踏み込みました(ちょっとおそるおそるですが・・・)。

Dialogue

Posted By taga on 2017年4月7日

昨日は、青山さんと
ひたすら語り合う。
何かを目的としているわけではなく、
ただ対話しているだけ。
時間はあっという間に過ぎていく。
語りながら、自分の考えも整理されていく。

僕はとてもとても青山さんには及ばないが
場違いな人間なりに深く考えていきたい。
一人一人をきちんと見とることが
最も大切なことなんだと
改めて、思った。
言葉にすれば簡単だし、
多くの人が口にすることだ。
でも、浅い「見取り」と深い「見取り」がある。
「見取り」の具体化、言語化も考えていかねばならないんだなあ。

いろいろと課題をもらった楽しい「対話」の時間だった。

日曜日の教師塾について

Posted By taga on 2017年4月5日

「日曜日の教師塾」
ともかく、遅刻しないように。
駅からの者は、五社駅に着く前に僕に連絡すること。
9時半から、多賀のオープニング講座。
      木下さんの算数の授業開き。
10時半か11時くらいから、各自でのアクティブラーニング。
      僕との新年度の具体的なアドバイス。・・・個別指導。
◆ ※ 食事は全てこちらで用意。
    夕食食べて解散とするので、6時半に終わる予定。
    夜はいつものカレーです。
  ※ 具体的な学級計画や教科の計画を用意してくること。
    次の日の準備をしながら、交流する。
  ※ 持ち物は、パソコン、USB、学校の行事予定など。
         教科書、ワークなども。
         自分のノート、筆記用具。飲み物。みんなで食べるお菓子。
  ※ スカート禁止。ジャージでもよいが、楽な恰好で。
  ※ 参加費は、やる気と熱意を持って代わりとする。

深い学び

Posted By taga on 2017年4月3日

東京での「教師教育フォーラム」
神戸での「アクティブ・ラーニングにおける評価を考える」セミナー。
この二つの会は、20名程度の人数だった。
しかし、問題意識の高い人が集まったので
フロアーという感じではなく
共に考え合うという会になった。

「深い学び」とは、
「習得、活用、探求という学びの過程の中で
各教科などの特質に応じた『味方』『考え方』を働かせながら
関連づけてより深く理解
情報の精査
問題を見出して解決策を考える
思いや考えを基に想像したりする
ことに向かう深い学び」
のことである。

今回、二つのセミナーの参加者は
深い学びになっていたことだろう。
「深い学び」を考える教師自身に
浅い学びしかしてないのでは、話にならない。

『応仁の乱』

Posted By taga on 2017年3月24日

呉座勇一の『応仁の乱』に3日かかった。
これ、登場人物が多すぎて
読むのを途中で止めると
話が分からなくなる。

この時代は、好きな時代。
封建時代のような感覚はない。
自由で、中世の支配から脱却しようとするパワーのある時代。

ステレオタイプな理解は物事の本質にはつながらない
ということを、教えてくれる本でもあった。

ほとんど仕事がストップしていたけど、
僕は早めの春休みだったのでいいかな。

明日からは、毎日のように講座続き。
体力の温存が大切。

学習者主体と授業者主体

Posted By taga on 2017年3月19日

学習者主体論議は、何度も繰り返して出ては消えしている。
授業者主体と、いつも対立した概念として討論される。
ずっと繰り返しているんだ。

アメリカのホームースクーリング運動の主張者として
ジョン・ホルトの『学習の戦略』と『教室の戦略』が日本で出版されたのは
1987年。
そのときには、もうジョン・ホルト自身は鬼籍に入っていた。
その前から、アメリカではフリースクール運動が盛んになっていった。
そこには、アメリカの地方において
「読み書きがやっとできる教師たちが子どもたちを相手に悪銭苦闘していた・・・」
という状況が背景としてある。
学習者主体を突き詰めていけば、
フリースクールやホームスクーリングという考え方に近づく面がある。

僕はジョン・ホルトから学んだことはたくさんあるが、
結局は「愛」なきところに教育はないということが残っている。

学習者主体の裏側には
「どんな教師でもできる」という側面がある。
そういうことではなくて、
授業者がレベルアップすることと学習者視点で授業を行うこととは、
セットで考えられるべきだ。
その二つを対立軸で考えるべきではない。