多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

愛するということ ⑦

Posted By taga on 2018年5月15日

愛にはいろいろな形がある。
「愛している」というだけが愛の形ではない。
我が子を大事にすることだけが「愛」でもない。
昔、朝日新聞の投書欄に成人式に向かう女性の投稿があった。
「心の晴れ着」という話だった。
「母は私が一年生に入学する初日から
まわりに困っている子どもがいないかよく見て
もしいたら、手伝ってあげなさいと言った。」
この方のお母さんはずっと同じことを言い続け、
それはこの方の心の中で生き方につながっていったそうだ。
特別支援教育で有名な心理学者伊藤隆二さんの著書に載っていた話。

「私は母にもらったこの心の晴れ着を着て
成人式に向かう。」
という言葉は、母からの愛を人に送ろうとする姿勢だと思った。
愛は伝染するというのは、こういうことではないだろうか。

仙台親塾№9

Posted By taga on 2018年5月9日

今回は「五月病」をメインテーマにして、
いくつかの教育的な話を紹介していった。
「アメリカインデアンの教え」
「こんな親が子供を壊す」等々

日程が悪く少しの参加しかないだろうと言われていたが
蓋を開けてみれば14名の参加。
このくらいの人数だと、
それぞれの方の反応を見ながら語ることができる。
「この方は今、この言葉に何か感じられたみたいだ。」
「急に身を乗り出してこられたのは、どうしてかな?」
「前からこのことには心が引かれる方だったなあ。」
というようなことを考えながら、
書いた原稿以外の話を入れ込んだりしている。

親塾はムードがいい。
だから、続けられる。

英語教育を考えるセミナー

Posted By taga on 2018年5月3日

小学校での英語導入。地域によっては、今年から全学年で実施されています。英語については、抵抗の多い先生方も多く、現場では不安や混乱が起こっています。夏の丸一日、英語教育について実践を元に考えてみませんか?仙台で学生のときから英語教育を学んで実践してきた尾形英亮先生を神戸に迎えて、若手による実践報告も交えながら、小学校での英語教育の実際についてのセミナーです。若手のみならず、不安なベテラン教師の参加も歓迎です。
日時 2018年8月2日  9時30分開場 9時950分スタート
場所 兵庫私学会館
内容 9時50分~10時30分 実践提案 1 大崎遼平(奈良)
10時30分~10時50分 実践トーク 尾形 多賀 大崎
11時~12時 尾形講座
 昼休み
13時~13時30分 絵本で英語  多賀
13時40分~14時10分 実践提案 2 模擬授業 鍋田宏佑(大阪)
14時10分~14時30分 実践トーク 尾形 多賀 鍋田
14時45分~15時45分 尾形講座 2
15時55分~16時40分 小学校英語教育を考える。 -フロアーも交えて -
10時40分~16時50分 リフレクションタイム
■ 参加費 3500円 
■ 懇親会費 4000円
■ 講師紹介 
尾形英亮(おがたようすけ)。1984年宮城県気仙沼市生まれ。教師12年目。共著に『教科横断的な資質・能力を育てるアクティブ・ラーニング【小学校】』(図書文化社)、『スタートダッシュ大成功!小学校全教科の授業開き大辞典 高学年』(明治図書)など。昨年度、『英語教育』(大修館書店)にて「第二言語習得理論のキソ知識」を半年間共同連載。

■ 申し込みは下記から

http://kokucheese.com/event/index/518776/

愛するということ ⑥

Posted By taga on 2018年5月2日

本能がない人間
人類はこの世に出現してから
100万年もたっていない。
ネアンデルタール人からでも50万年くらい前だ。
だから、まだ本能は確立していないというのが、僕の神戸大学の恩師佐守先生の教えだ。
本能がないから、
人間なら必ずそうするというものを持たない。
子どもを守り大切にするということが
選択肢になり得る。
虐待もする。
我が子を投げ降ろして殺すこともする。
佐守先生は
「愛とは選択肢です。」
と言う。
そのことをずっと僕は考えてきた。
今は、それだけではないと考えている。
選びようもない衝動というのが「愛」にはあると思う。

愛するということ⑤

Posted By taga on 2018年4月29日

唐津絵本の会の懇親会で
愛があるとかないとかの話になった。
若手を育てることについての話だ。
僕が言ったのは、
厳しい言葉をかけるときは
愛がなければならないということ。
愛も持たずに厳しくするのは
ただのいじめか自己満足だということ。

愛するということ ④

Posted By taga on 2018年4月26日

「ある愛の詩」という映画があった。エリックシーガルの原作で、昔、一斉を風靡した映画である。
映画のサブタイトルは、「愛とは、決して後悔しないこと」だった。
「Love means never having to say you’re sorry」
でも、これは、「愛とは、決して後悔しないこと」という意味ではない。
直訳すれば、「愛は、ごめんなさいって言わないことなのよ。」ということだろうか。
このセリフは、詩を間近にしたアリ・マックグロウが、ライアン・オニールに言うセリフで、一番泣かせるとこなのだが、これと同じような言葉が、ラストに出てくる。
最後まで結婚を認めなかった父親が、彼女の最期にやってきてライアン・オニールに謝るのだが、そのために二人が苦労をしてきた。だから、息子は父親を恨んでいた。
そのときにライアン・オニールの発した言葉が、
「Love is not to say sorry」という言葉で、映画では、「愛とは決して後悔しないことです。」と、父親に息子が言ったことになっていた。
これも、違っている。「Love is not to say sorry」 言い換えれば、「愛していたら、ごめんなんて言わないもんだよ。」という意味。
つまり、息子は父親に
「あなたは、今頃謝るけれども、自分を愛していたら、謝るなんてことはなかった。つまり、あなたの愛は本当の愛だとは、認めない。」
という意味だったのだ。
子どもを愛しているというなら、今、愛していることを分かる形で伝えるべきだということである。

愛するということ ③

Posted By taga on 2018年4月24日

愛のボタンも掛け違う
庭に小手毬の木が二つある。
13年前に頂いたものを植え替えたもので、毎年美しく咲き誇る。
一年生の担任を終わった春休みに
お母さんが持ってきて下さったものだ。
とても子ども思いのお母さんだった。
愛情の深い方だった。
子どももとてもお母さん思いで繊細な子どもだった。
だのに、ボタンを掛け違えてしまっていた。
僕が子どもから思いを聞き取って、懇談で語ったとき
ぽろぽろと涙をこぼしながら、でも、目をそむけずに聞いてくださった。
その日から、二人でボタンをかけ直した。
時間はかかったけれども、親子だから、大すき同士だから、
すてきな関係になっていった。
そのお礼に頂いたもの。
この木が咲く度に二人の笑顔を思い出す。

愛するということ②

Posted By taga on 2018年4月23日

「私は子どもを愛しています。」
「子どもを愛さない親なんていません。」
等ということは、誰にでも言える。
そういうお母さんの子どもがいつもぼろぼろの服を着ていたら
髪の毛も全く手入れせずに学校へ来ていたら、
それを「愛」と呼んでいいのだろうか。

愛していると伝えなければ
愛を感じることはできない。
「愛があれば、きっと通じる」ということも、ない。
愛されているという実感のない子どもは不安定になる。

愛は見える。
愛は聞こえる。
愛は触れることもできる。
見ざる聞かざる触れざるは、愛とは言えない。
見えて聞こえて触れ合って
初めて、人は愛を実感できる。
愛には形があるということだ。

愛するということ

Posted By taga on 2018年4月22日

子どもを愛するって、どういうことだろうか。
恩師、佐守信夫先生は、
「人間だけが愛を持っている」
と、おっしゃっていた。
「ペンギンの親は何週間も食べ物も食べずに卵を守り続けます。
でも、それは愛ではありません。
なぜなら、それは本能だからです。
どのペンギンもそうするように遺伝子に組み込まれているのです。
しかし、人間は生まれたばかりの赤ちゃんをコインロッカーに捨てる親もいます。
選択肢があるのです、人間には。
子どもを大切にする方向を選択することを『愛』と呼ぶのです。」

僕はずっとそのことを頭に置いて教育に携わってきた。
選択できるのが人間の特質であるとするならば、
選択することの意味を伝えていかねばならない。
つまり、愛も学ぶべきものなのである。

中堅の楽しい授業

Posted By taga on 2018年4月17日

5年生の控室に行っていた時
「多賀先生、僕の社会科を見に来てくれはったんですか?」
と、中堅の先生に声をかけられて
ちょうど空き時間だったので、見させてもらった。

最初は起立ー礼の指導。
こういうのを毛嫌いする先生も世の中にはいるが、
追手門はこれでいい。
授業をきちっと始めることは、悪いことではない。
それを怒鳴りつけてさせるのが良くないだけだ。

この先生は声が明るい。
それだけでヒドゥンカリキュラムになる。
一週間で、もう子どもたちが集中して聞いている。さすがだ。
「立って、机の右に立つのはどうしてかな?」
そこから入る。
「室町時代からのことが関係あります。」 (エッ?! そこ?)
「武士は刀を左側に差します。なぜか分かりますか?」
当時の人は全員が右利きだからです。」
子「えーっ!」
「左利きも必ず右利きに強制されました。」
子「二刀流は両方に差しますが・・・。」
「二刀流は実際はできません。同時に抜いたら、両手を斬ってしまいます。(実演)」
子( ´∀` )

こんな調子で、子どもの関係ない質問にもいちいちさらっと対応して、自分の道筋は崩さない。
完全な一斉指導だけれども、ときどき笑が入りながらテンポよく進むので
子どもたちはどんどんついていく。
ボディランゲージあり、メリハリあり。
質問してきた子どもに、その場では対応しきれないとき
「うーん。そりゃ先生も分からないから、調べて来て、明日みんなに教えること。
特別宿題。」
言われた子どももなんとなくうれしそう。

5年の社会科は一時間の情報量がとても多くなるから
こういうテンポは必要なのだ。
親潮と黒潮をしていたときに、赤潮の質問に対して、
「教室を密閉して、5年生全員と6年生も全部入ってきて、全校生も入ってきたら・・・。」
と、たとえが面白い。
こういうのがポンポンと出てくる。
本人は教育漫談と言われますと笑っていたが、
優れた一斉授業だった。

僕が指摘したのは一点だけ。
それもレベルをさらに求めてのことだった。
いやあ、面白かった。