僕と甲南小学校

Posted By taga on 2011年12月30日

31年前に甲南に来たとき、

僕は25才。

 

若かった、というよりも、青かった。

たぶん、触ったらやけどしそうなくらい熱かっただろう。

 

一枚文集を出し始めると、とたんに、周りから批判が来た。

ほとんど出している人たちはいなかったから。

「勝手なことをする。」

「自分だけ良ければいいのか。」

 

そう言われた。

子どもにとって良いか悪いかは、関係ないというのだ。

 

4人の先輩方、臼井、佐野、田久保、藤原先生方は、

批判されなかった。

自分に自信を持っているからだろう。

 

自信のないものは、誰かの実践の足を引っぱろうとする。

でも、友人は、ライバル意識はあったけれども、

「俺は、多賀さんとは、違う実践で認めてもらう。」

そう言っていた。

 

彼は、今、神戸市の校長さんである。

 

甲南小学校は、作文教育で白鳳賞をいただいた学校である。

児童文集というものを、戦前から、先輩達は出していた。

僕が甲南へ行ったときには、誰も文集を出していなかった。

文集を出す僕こそが、甲南の王道であるという信念があった。

他人に合わせて、信念を曲げるくらいなら、死んだ方がましだ、という気概があった。

 

陰口たたかれても、出し続けた。

 

続けているうちに、後輩たちが出すようになった。

 

 

今では、ほとんどの学年で一枚文集が出ている。

今、僕の出す数は、毎年100号に届かないが

倍くらい出している先生もいる。

 

文集の値打ちは、出している先生には、分かる。

文集は、作文を通した教育なのである。

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