「教師をどう生きるか」を読む

Posted By taga on 2013年8月13日

エアロスミスの余韻に浸った状態で

堀裕嗣、石川晋、両氏の対談本

「教師をどう生きるか」を読む。

 

僕がこの本を買ってまで読むのは、

この数年で出会った二人への興味関心が一番。

それから、僕と石川晋さんとの対談本が作られつつあるが

対談本というものは、どういうものかイメージがどうも湧かないので、

その興味もあった。

 

本を書くから偉い。セミナーをするから凄い。

そんな発想は僕には全くない。

おそらく、彼らの言葉を純粋におもしろがって読む人間の一人だと思っている。

 

さて、この本は、どう読み取ればいいのだろうか。

面白かった、という一語につきる。

それから、二人の使う言語の裏にある意味というものも、

少し分かった。

 

例えば、文学についての考え方は、

僕が考えていたものとは違っていた。

おそらく僕の「文学の時代」は、20年ほど前に終わっていて、

児童文学や大衆小説へと方向が偏っていたことに対して、

中学の国語教師である二人は、ずっと文学に関わってきたからだろう。

そんなことここに書いても

「それは、多賀さん、ちがうよ。」

と、一蹴されるかも知れないが、僕の読み取りだから。

 

この本は教育書とは言いにくい。

「我々の実践というものを真似ていくことは、

自分の責任でやっていただきたいと、言っておく。」

という本かなあ。

 

こういう本は、それぞれの人間が課題を持って読み、

自分の実践と照らし合わせながら、

「何か」をつかんでいくものなのだろう。

 

じゃあ、僕は晋さんとの対談で何を語っていただろうか。

うーん。

 

いずれにせよ、僕は東京での対談を聞いていたが、

堀さんがときどき5分ほど席を外している間の

晋さんの話も、載せてほしかったなあ。

堀さんは知らないのだから。

 

 

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