土作さん、中村健一さんとの会

Posted By taga on 2013年8月29日

島根で、土作さんと久しぶりにコラボして、

違う形だが、

同じ事を考えているなと確認し合えた。

 

「一緒に若い先生たちを支えましょう。」

という言葉に、力を感じた。

正直、教師塾は、僕一人でやっていくのには

精神的な限界があるなと思っていた。

だから、土作さんと一緒に、

やっていこうと思う。

 

「新卒、若い先生を元気づけるセミナー」

まずは、11月30日の土曜日に、昼から、

神戸の東灘区民センターで行う。

教師塾は、そちらにスライドしていく。

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Comments

4 Responses to “土作さん、中村健一さんとの会”

  1. sunami より:

    いよいよ2学期が始まります!忙しくしています!!

    多賀先生がお一人で教師塾や講演をなさっても、人々が集まってこられるというのは、先生のお力が素晴らしいからにほかなりません。私には多賀先生がパワフルで万能のように見えていますが、実際は大変でいらっしゃったのだろうなと、この日のブログで気づかされました。
    そんな時につまらない質問をしてしまうことをお許しください。

    最近、(というより今まで10年間)身になる研修を積んでこなかったつけが、今になってまわってきました。研修はどれも素晴らしかったのですが、自分が積極的に学んでこなかったために、10年も勤めていながらわからないことが多々あります。「言語活動」って?「クリティカルシンキング」と「クリティカルリーディング」の違いって?国語教科書の題材の後についてくるページは「手引き」と呼ぶのか「発展学習」と呼ぶのか、「表現活動」と呼ぶのか?・・・など。基本的な言葉の定義(これは学校や派によって少し違うのかもしれませんが)すら、今あやふやなんです。授業はもちろんのこと・・・

    たしか、先生の著書に「国語のできない教師はみじめになる」というようなニュアンスのことが書いてあり、そのことに今ようやくビビり始めています。優秀な後輩も入ってきましたし、自分が中堅になろうとしています。もうすでに、みじめです。もう一度基礎を学びたいな(できれば公立で、世の中の国語の流れに一度乗ってみたいなとすら)思います。やっと、焦る年になりました。

    校外研修に出るのはなかなか・・・です。やはり、いろんな本を読むことからでしょうか。

  2. taga より:

    すなみさんは、事故工程間が低すぎる。
    僕から見ていたら、けっこうできていることがあるのに。

    ◆ 「言語活動」というのが今言われているのは、
    新しい指導要領に、例示されているからです。
    従来の言語活動とは、意味が違っていて、PISA肩すかしを食らう見据えた表現につながる活動を言います。
    例えば、「お手紙」の授業で、他の作品を読んで紹介したり、
    説明文で学んだことから、図鑑を自分で作るなどです。

    ◆ 「クリティカルシンキング」と「クリティカルリーディング」ですが、
    クリティカルというのは、要するに情報を鵜呑みにせず、検証したり自分の考えで批判して読み取るというようなことですね。

    ◆新しい言葉の定義は、人によってまちまちになります。
    学習指導要領さえ元に考えておけば、後は自分の考えで良いと思います。
    ほとんどの人は、ちゃんと分からずに使っています。

  3. sunami より:

    多賀先生、一つ一つに答えてくださり、ありがとうございます。
    メッセージを打った後で、何て次元の低いことを公の場に発信しているのだろうと、
    恥ずかしいばかりでした。それに対して、こんなに丁寧にお返事がいただけて、
    申し訳ないほどです。ご恩に報いるには、自分が力をつけて子どもに返していくしかないですね。頑張ります!
    今日、先生のおっしゃっていた夏休み明けに子ども同士で話させる時間をとってみました。うまく話せない子など、話す以前の課題もあり、自信を持ってうまくいったとは言えませんが、多くの子が嬉しそうに次々に話していました。席替えをした直後に取り入れたので、互いの挨拶代わりになればと思いましたが、果たして・・・といったところです。
    なんでも、ただなぞるだけじゃなく、自分なりにねらいを明確にし、方法を明確にし、子どもの反応や動きを予測して、時にはその気になるようみんなの気分を乗せていかなくちゃと、たった一つの活動でも痛感しました。
    とにかく、いつもいつもありがとうございます。

  4. taga より:

    一度の活動でいろんなことができるうになるには、
    年期がいります。
    一つずつ、一歩ずつです。
    「次元の低い」ということは
    教育にはありません。
    ただ、子どもと先生がどうやっていくのか、だけだと思います。