親塾のテーマ「厳しさと優しさ」①

Posted By taga on 2014年3月15日

厳しさって、なんでしょうか?

そんなことを考えたことは、ありますか?

現代における厳しさと、昔の厳しさをごじゃまぜにして、

いろんな立場から意見が出てきます。

そこのところを、今日はよく考えてみましょう。

世の中も家庭も学校でも、厳しさの基準が変わってきているんです。

残念ながら、教育現場でも、そのことに気づかない「おバカさん」がいて、

戦前や戦後まもなくと同じように教育していて、

それをさも立派な教育観であるかのごとく主張する人たちがいらっしゃいます。

心理学的にも、社会学的にも、なんの根拠もない、

ただ自分の受けてきた教育だけを良しとする方がいらっしゃって、

それを一部の親が支持するから、話がややこしくなります。

 

今の厳しさとはなんだろうか、

それを考えていかないと教育はできないと、僕は考えています。

まずは、四十年前の教育から、考えてみましょう。

 

「思い込んだら試練の道を行くが男の生きる道」なんて

今の子どもたちに教育できませんよね。

「巨人の星」の星一徹。この人、むちゃくちゃな人でした。

きにいらなければ卓袱台をひっくり返す。

子どもは殴る。女性は陰で支え、そっと涙をこぼす。

昔はそんなことが普通にありました。

ともかく、頑固おやじというものが、存在したのです。

 

『鉄拳制裁」なんて当たり前の時代がありました。

もてはやされたんです。スポ根の時代がありました。

これを引きずっている方が、桜ノ宮高校の暴力自殺事件で体罰を擁護するんです。

何も考えずについていった子ども達とはちがい、今の子ども達は、いろいろと考えるんです。

理不尽なものには生理的についていけなくなっているんです。

そして、「私は殴られたから、こういうレベルに達したんだ。」

等とおっしゃるんですが、そう思う方がいてもいいけれども、

鉄拳制裁がなかったら、もっと自分で考えて、もっと成長していたかも知れませんね。

そして、その鉄拳制裁の陰で、つぶれていった有能な人たちもいるんですよね。

 

 

 

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