臨界期とレディネス

Posted By taga on 2012年7月14日

10日の親塾の補講の一部を紹介する。

 

子どもを考えるときに、臨界期の問題と、レディネスのことを考えておかねばなりません。

臨界期というのは、「そのときにしかつけられない力」だと考えてください。

ネコの赤ちゃんが生まれたとき、何も見えていません。

2日ほどして目が開いても、まだ、目は、はっきりとは見えていません。

そのぼんやりと光を感じていくときに、視神経と脳とが通信を開始するのです。

ちょうどその一週間ほどの間だけ、目の開いたばかりのネコの赤ちゃんに目隠しをすると、一生失明してしまうそうです。

つまり、視神経と脳とがつながるのは、その一週間ほどの間しかないのですね。

これは、人間の赤ちゃんも同じでしょうが、

人間の赤ちゃんでこんな実験データはとれないので、「たぶんそうだろう」という話です。

このように、今そのときにしかつけられない力というものが、あるんです。

例えば、絶対音感というのは、胎児のときから始まって、

幼少期にしか身に付けられないと言われています。

印度で見つかった、オオカミが育てたオオカミ少年は、一生、まともな言語は話せませんでした。

二足歩行も、手を使って食べることもできなかったそうです。

もっと具体的にいきましょうか。

例えば、子どもに数的な能力をつけるのは、一才から四歳までだと言われています。

なんていうと、

「今のうちに公文いかさないと・・・。」

なんて思われる方が出てくるのですが、それはちがいます。

計算能力のことではありません。

幼児期にレゴのようなブロック遊び、積み木遊びをたくさんしている子どもは、図形に対する概念が作られていきます。

おはじきで遊んだりして、数の概念、アルゴリズムというのですが、

それをつけたりすることが大事なんであって、

九九を覚えたり、足し算が暗算できるようになったりすることには、大して意味はありません。

そこを間違わないでください。


次に、レディネスという問題を頭においておくことです。

なんでも早めにすればよいというものではありません。

レディネスというのは、ある学習が成立するためには、その子が一定の発達をとげていないとできないということです。

これは人間の双子で実験されています。

一卵性双生児は、全く能力的条件が同じですから。

例えば、ある作業を双子の片方にだけ教えて、半年かかってなんとかその作業ができるようになったときに、

もう片方の子にも教え始めたら、一週間で同じレベルに達したのです。

つまり、子どもが心と体の能力で準備ができていないときに、

いくらトレーニングしても、意味はないということです。

小学校入学前に漢字がすらすら書けたり、足し算やかけ算ができると、なんかすごいことのように見てしまうのですが、

ほとんどの場合、そういう子たちは、大して伸びていません。

だって、いきなり学校の勉強が知っていることばかりだから、真面目に聞かなくなるんですね。

真面目に聞かなくても困らないという習慣を一年生からつけてしまうと、

そりゃあ、学力は伸びませんよ。

漢字がすごく書ける天才少年というのか、よくテレビに出ていましたが、

その子たちがノーベル賞クラスの学者になったという話は、聞いたことがありません。

じゃあ、幼児期に大切なのは、なんですか、と聞かれたら、

言葉に対する感覚だと言いたいですね。

どうやってつけるかという話は、今度、国語の大切さの話の中でいたします。

 

 

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Comments

2 Responses to “臨界期とレディネス”

  1. iwanori より:

    大変勉強になりました。
    赤ちゃんが産まれてきたら、ブロック遊びや一緒におはじき遊びしなくっちゃ!と思いました!!レディネスの話も納得。

  2. taga より:

    もうすぐですね。
    今度は、赤ちゃんと三人でお目にかかるのを
    楽しみにしています。