本のねうち

Posted By taga on 2011年10月20日

本というものは独特の文化で、ねうちを感じない人には、なんの意味もないものである。
僕が高校生の時、自宅が商売でばたばたしすぎているので、近くで倉庫代わりに使っていたアパートに一人で引っ越して、勉強していた。(ずっと勉強していたわけじゃないけれど・・・)

そのとき、読んだ本たちを大きな段ボール箱(かなりの大型)二つにいっぱい入れておいた。

学校へ行っている間に、それを捨てられてしまった。
フランス文学に傾倒していた頃で、「洪水」など、名作の単行本が何冊もあった。

全部ぱあ。

阪神大震災のときに、被災者のみなさんが、小学校の図書室から暖を取るために本を引っ張り出して、ドラム缶にくべたところがあったと言う。

ある意味仕方ないが、哀しい話だと思う。
本を読むことと人格にはなんの関連性もない。

僕の義理の姉は全く本は読まなかったが

優れた人格者だった。

でも、 学校の先生で本を読まない人は、問題ありだね。

本を読まない教師は、歳がいくにつれて薄っぺらくなっていくような気がする。
そんな先生の下では、子どもも本を読むようにならない。

僕のクラスは、本を読む子が増えていく。

当たり前。

僕が本の楽しさを知っていて、つたえるから。
本は、

「読むという決意」

なのである。
そして、ただ生きていくためだけならば、必要ない文化だとも言える。

そこにねうちを見いだすのは、一人一人の人間なのである。

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