多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

重たすぎて・・・

Posted By taga on 2019年3月29日

読売テレビで神戸連続児童殺傷事件の特集をしていた。
22年前、神戸で起きた忌まわしい事件。
酒鬼薔薇の名前は憶えておられる方も多いだろう。

一昨年亡くなられた山下さん。
ご主人が出てこられて、京子さんのことを語っておられた。
いつもご講演をお願いしたとき
必ず一緒に付き添われておられた。
話すときは、彩香ちゃんの写真と三人で。
通りがかりにわけもなく殺された娘。
「鏡を見たら、そこに悪魔の顔が映っていたのよ。
人を憎み続けると、そういう顔になるのね。
自分はこのまま壊れていくのかと思った。」
「でも、ある日ね、空から声がしたの。
『お母さん、もういいよ。』
って、彩香の声が。」
彼女はふだん淡々と語るのだけれども、
このときだけは涙は止まらなかった。

山下さんは、僕の小学校中学校の同窓生。
苦しい時、いつも励ましてくれた。
「多賀君、もう少しがんばりなよ。」
彼女にそう言われたら、がんばらざるを得なかった。
でも、最後に
「もう、辞めるよ。」
と言った時、
「もういいんじゃない。よくがんばったよ。」
と、言ってくれた。
そんなことが走馬灯のようによぎる。

たくさん資料もいただいたが、
僕はこれを教材にはできなかった。
重たすぎて僕には無理。
でも、思いは伝えていきたい。

合掌

透明人間にはなれない

Posted By taga on 2019年3月26日

大空小学校の元校長が東大で
「教師は透明人間になれ」
と語った。
その理念はよく分かる。
いろいろな子どもたちがインクルーシブな教育を受けるには
それが良いのかも知れない。
でも、40年前、もしも教師は透明人間になる仕事だと思ったら、
僕は教師を仕事にしなかっただろう。
僕には崇高な理念もない。
自己顕示欲の強い普通の人間だ。
何を目指して教師になったかと言うと、
「いい先生になりたい。」
 子どもたちとの関係をつくって、子どもたちに人生を語る
 子どもに慕われる教師になりたい。」
という思いだった。
実際にどうだったかは分からないが、
透明人間は嫌だ。
今の学生たちなら、
透明人間という理想像を目指して、この仕事に入ってくるのだろうか。

独裁者はどこにでもいる

Posted By taga on 2019年3月24日

独裁者は、グループやまとまりの上に君臨する。
自分だけは、非礼も独断も許される。
しかも、自分では
「俺には諫言してくれる仲間がいる」
等と、本気で思っている。
忖度してその方に心地好い言葉しか
言っていないのに。
ちょっと批判めいた言葉も
その方を喜ばせる範囲の言葉しか使わない。
怒らせたらややこしいのを知っているから。
そうして独裁者は裸の王様になっていく。

学校は隠蔽する

Posted By taga on 2019年3月21日

学校というところは閉鎖的な空間だ。
いじめの問題が起こったら
まず、その組織を守ろうとして動く。
ダメージ・コントロールという発想がないから
隠蔽に走りやすくなる。
もともと、そういう体質がある。
優れた管理職だと
初期段階から適切な対応をとるが
ダメな管理職は、
なんとか逃げ切ろうとして、失敗する。
いじめ案件は判断が難しい。
でも、隠蔽から入れば
事実を確認することが不可能になる。
まともな議論すらできなくなり、
糾弾されるだけになってしまう。

いじめから我が子を守るためには
学校に任せてはいけない。
我が子を守るのは親だという認識をしっかりと持たねばならない。
こういうことを書かねばならないのは、とても残念なのだが・・・。

迷走する学校教育?

Posted By taga on 2019年3月20日

学校文化は独特である。
当然、見直されるべきことも多い。
しかし、最近、極論が多すぎる。
校則は全部やめろ論。
背筋を伸ばし、足をピタリとつけろと強制するのは子どもの人権無視だ論。
清掃は心の教育に関係ない論。
紙の教科書無用論。
等々、極端過ぎる。

リフレクション

Posted By taga on 2019年3月15日

「リフレクション」だらけ。
教師教育の大学の先生方は
リフレクションに力を入れていらっしゃる。
たくさん、教師のリフレクションの本が出ている。
リフレクションすれば、教師は自ら成長すると。
でも、昔から、成長する教師は自らを
振り返ってきた。
リフレクションの方法なんて必要なかった。
僕は、なんともこの喧騒に違和感を感じる。

春のうれしい便り

Posted By taga on 2019年3月11日

「先生、息子の良い所は何ですか?」
この問いにはっとさせられたことがある。

一年生を担任していた時、
なかなか運筆もままならずに文字を書くのにすら苦労している子どもがいた。
僕も個別に一生懸命指導した。
他の教科においても出遅れていて
追いつきにくい。
個人懇談では
「おうちの方にも、さらにご協力いただかないと。
 このままでは先がしんどくなると説明しよう。」
等と考えて臨んだ。
そうしたら、お父さんがいらっしゃって、
開口一番おっしゃったのが、冒頭の言葉だ。
僕は頭をガツンと殴られたような気がした。
ふだんは懇談では子どもの良いところを語る。
それが僕の教育の中心だったのに、子どもができていないからといって
僕の頭は勉強のことでいっぱいであった。
子どもの記録をとっていたノートを開いて
「いつも、何かおもしろいことを言って、みんなを楽しくさせようとしてくれていますよ。
彼のおかげで、クラスが明るいです。」
と言った。
「それは良かった。
先生、あの子の『春樹』という名前は、
周りを明るくする大きな樹に育ってほしいという願いからつけたんです。」
お父さんは笑顔で帰って行かれた。
僕が大切なことを思い出させていただいた時だった。

この四月から、彼が文科省に入庁する。
きっと教育に明るい灯をともしてくれるだろう、
願いのこもった名前のように。

なんでも否定していいの?

Posted By taga on 2019年3月10日

卒業式の練習を少なくするというのは
いいことだと思う。
なんのためにしているのかと考えることも
必ずするべきだ。
また、発達障害の子どもたちにとって苦痛になることであれば
それなりの対応も考えなくてはならない。
しかし、礼儀礼節まで否定するのはどうかと思う。

尊師岡田崇先生が教頭の時に
灰谷健次郎さんが卒業式にジーパン姿ででようとしたことをとがめた。
「どんな服装で臨もうが、個人の自由です。」
と言ったので
「君の卒業式なら、どんな格好でもかまわない。
 でも、これは子どもたちの卒業式で。きちんとした格好で送り出すのが礼節だ。」
とおっしゃった。

「外国ではそんな式はしない。もっと自由だ。」
という声も聴くが、卒業式は日本の美しい文化の一つだと、僕は考えている。
外国は外国。
日本の文化を外国を例にして論じるのはいかがなものかと。

パニックや他害の児童にどう対応するか

Posted By taga on 2019年3月9日

■きれいごと抜きのインクルーシブ教育⑶
 連休の後半、5月5日です。
 インクルーシブ教育で最大の問題となるのは、発達障碍の子どもたちが学級という枠の中でうまく生活しにくいということです。
特にパニックになったり他者への迷惑行為があったりすると、教師もどうしていいか分からなくなります。
また、ご家庭やおうちでも、そうした行為への対応が難しいということも聞きます。
そういう子どもたち思いを捉え直して、具体的にどのようなてだてがあるかを考える会です。
今回は子どものパニック行動に対する対応の仕方について具体的なてだてを各地で講演しておられる廣木道心さんの新著出版記念もかねて、
話していただきます。南惠介、多賀の三人で濃く語りたいと考えています。

■ 日時 2019年5月5日
 13時半~14時 オープニングと「今、学校で問題となっていること」多賀
 14時10分~14時50分 「インクルーシブな学級の作り方」南
 15時~16時20分 「自傷・他害・パニックは防げるか」廣木
 16時20分~16時40分 三人でのトークでさらに深める

■ 場所 神戸三宮コンベンションセンター 507  兵庫県神戸市中央区磯辺通2-2-10 ワンノットトレーズビル5F
■ 参加費 2000円
■ 懇親会 三宮の近くで。参加費は4000円
■ 廣木道心
護道 宗家/護道介助法 創始者/介護福祉士/訪問介護員/移動介護従事者/医療福祉専門学校 講師/DTPデザイナー
/2児の父。自閉症で知的障がいがある息子から様々な学びを得る日々を過ごしています。 

※ 申し込みは下記から
 https://www.kokuchpro.com/event/a6af9a3b25e53d86f6d21ceb7897c1a1/

読み手のレベル

Posted By taga on 2019年3月4日

多くの中堅、ベテラン教師のバッシングを受けながら
堂々と剽窃本が一位に輝いている。
これは、かえってCМしていることになっているのかもしれない。
「そんなに言うなら、どんな本か読んでみよう。」
って。

僕は、レビューを見て、愕然とする。
「見たことも聞いたこともない実践」
「教育界にイノベーション」
こういうことを書いている人たちは
ほかの実践を全く知らないのであろう。
そして、本物も見たことがないのだろう。
本来、取り上げない方がいいのかも知れないが
これがある意味、現実だろう。

そういう人たちを教師教育していかねばならないということだ。
知らないということを自覚していない人たちに
どうしていけばいいのだろうか。
簡単に
「一斉指導はもう旧い。」
と言い切る人たちも、同様だ。
そういう次元で授業を語るものではないのだ。

教師のなり手がどんどん減って
こういうレベルの人たちが増えているということなのだろうか。
僕は若者が知らないで猛進することが好きだ。
そうやって、失敗を積み重ねて一人前になっていくものだ。
しかし、これは・・・。
暗澹たる気持ちになっている。