多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

本の会から、一年が始まる

Posted By taga on 2017年8月27日

ここ数年のパターンとして
本の会から、一年間のスタート。
ここで読んだ本たちを各地の絵本の会でも
読み聞かせしていく。
今年は13冊、読んだかなあ。
卒業生が
「今日、先生は音楽をかけながら
読んで下さったけど、
僕らも授業で音楽をかけて
本を読んだことを思い出しました。」
と言ってくれたが、
そんなことをしていたなあと
ナツカシク思った。
教え子、先生、保護者、
昔からの馴染みのみなさん、いろんな方が集まる会。
14年も続くのは、主催の方のご尽力に他ならない。
深謝。
みなさんが同じ本に心を惹かれるわけではない。
終わった後、みなさんの語る心に残った本は

それぞれに違っている。
そこが、面白いところだ。

休みには体調崩す

Posted By taga on 2017年8月18日

13日から腰を痛めて
臥せっていた。
まだ、完治には到らないが
明日からは仙台ツアー。
珍しく休みで、いろいろしたいことがあったのに
何にもできず。
昨年もお盆は発熱。
ワーカーホリックのさだめかなあ。
身体中に鍼が入っている。
歩き方がおかしいと思うが
いたわってやってください。

中学生万引冤罪事件に思う

Posted By taga on 2017年8月14日

ICリコーダーに録音していて
警察の強圧的な取り調べがあきらかになった。
この事件で
「未だにこんなことをする警察官がいるんだな。」
という声を聞く。
同じことを教師にあてはめて考えよう。
教師も昔のような強圧的な指導はもうできなくなっている。
だのに、いまだに
「びしっと厳しくやれ!」
ということを言っている教師もいる。
同じだなあ。
新しい時代に通じるだけの技術を持たないで、
昔の強圧的指導にしか頼れない。
哀しい人がいる。

8月27日 14度目の本の会

Posted By taga on 2017年7月24日

「本の会 №14」
ここは、僕の読み聞かせの原点である。
毎年、「これ、いいね」と思った本を一年間ブラックボックスに入れておく。
そして、改めて取り出して、
何度も読み返して今年のテーマを考える。
今年は
「人生の贈り物」がテーマになった。
幸せ、見守り、思い出、友情、価値観、すき間・・・
人生において、さまざまな贈り物を我々はもらっている。
それを絵本を通して
読み解いていく。
ゆったりと、僕が思うままに語る会。
場所は神戸市東灘区の深江会館。
8月27日の日曜日、昼から。
もし参加希望があれば

愚直になる

Posted By taga on 2017年7月20日

学校現場にいるのは、優れた教師ばかりではない。
たくさんの書籍を読み、
自らを高める教師ばかりではない。
セミナーにお金を使う覚悟のある教師ばかりではない。
そうしたいと思っても、子育てやさまざまな環境で
それどころではない教師もいる。
いろんな学校へ行っても、
野口先生も陰山さんも赤坂くんも知らない教師の方が多い。
でも、みんな必死でがんばっている。
目の前の子どもたちのために、一生懸命なのである。
そういう先生たちは、優れた教師になることはないかも知れない。
でも、みんなそれなりに精一杯子どものためにがんばっている。
僕は、そういう先生たちを誰も否定はしない。
公立小学校を回りながら、
少しでも役に立てればとがんばるのは
そういう思いからだ。
彼らも愚直であり、
僕も愚直にやっていく。
精一杯、準備をして、
心に届けたいと思っている。
愚直であるということは、普通のことを大切にするということだ。
普通の教師であるということは、それだけで、尊いことだと思う。

SNSでの議論

Posted By taga on 2017年7月19日

Facebookなどで意見を投稿したら
ときどき、そこに議論をふっかけてくる輩がいる。
多くは議論にもならないレベルの
「~だと思います。」
「~できている人を知っています。」
といった、話にならないものである。
ま、僕はあんまりそういう目にあったことはないんだけど
あったら、切ってしまうだろう。
他人の投稿は、その人なりの矜持と覚悟で行われている。
それに対して、自分の覚悟もない議論のふっかけには
辟易する。

だいたい、親しくもない相手にSNS上で議論をふっかけるのは
ルール違反である。
顔も見えず、表情も見えない無責任なコメントにつきあう必要はない。

他者の投稿に長い書き込みをしてもいいのは、
他者との信頼関係のある人間だけである。

墓石を破壊し

Posted By taga on 2017年7月10日

朝のニュースで気になった言葉。
「墓石を破壊した。」
これは、わざとやったのだろうか。
さりげなくダジャレを入れたのなら、ナイスセンスだ。

もう一つ気になったのは、
ヒアリについてインタビューしていたときの
5才くらいの子どもの言葉。
「アリをちょんちょんするのが好き」
まあ、子どもらしい言葉。
子どもってそういうものだから。

中谷さんの「かきくけこ」も気になったけど・・・。

仙台親塾、さつき晴れ

Posted By taga on 2017年7月7日

やはりというか
自分でも驚くくらい「親塾」は雨にならない。
神戸でも30回やって、一度も雨はなし。
運動会のときは、僕を呼んでください。笑笑

さて、今回、24名の参加での親塾。
先ほどようやく質問・相談に答えるメールを送り終えた。
今回は、一部の感想を紹介する。

■ 今回はスクールカーストの話もしたので・・・
◆ 子どもの友人関係について考えながらも、自分の子供時代を痛みを伴って思い出しました。
自分のときからヒエラルキーはありました。その中で私もまともに育ってきましたので、わが子にも自分の経験を話しつつ、
寄り添っていけたらいいなと思いました。
本日はスクールカースト、ぴあプレッシャーなど、耳慣れない言葉の意味を知ることができました。
必要以上には子育て本などは読まないように心がけていますが、
わが子の周囲に起きているわが子が育っていく環境を理解することは大切だなと感じました。

◆ 小2の長男は、幼稚園からずーっと遊んでいる子がいて、「親友だ」「親友じゃない」の会話をよくするのですが、
深入りしなくていいことが分かり、スッキリしました。
また、年長の次男は、
「友達がいない」「でも仲間はいる」と、友達関係を悩んでいるようでしたが、
自分の子を見つめることが先決で、友達を追うことではないとわかり、救われました。

◆ 初めて参加しましたが、あっという間の時間でした。
お話をお聞きして、「友達」ということに対して今まで考えていた事が変わりました。
「同じ翅をもつ鳥は一緒に飛ぶ」という言葉にはっとさせられました。
自分の子どもをもう一度見つめなおし、寄り添っていきたいと思いました。

◆ 本日はありがとうございました。
子どもは小4で毎年クラス替えの度、お友達で悩んでいました。
私はついやきもきしてアドバイスを言ってしまいましたが、
相手のお友達でなく、自分の子ども自身の変化を見落とさず、見守ることが大切だと改めて気づきました。
私[大人]か良いモデルを見せる、
お友達関係だけでなくすべてに通じることだと思うので
私自身も気を付けようと思いました。

女性教師の本を読む男性

Posted By taga on 2017年7月2日

『女性教師の実践からこれからの教育を考える』
この本からモデルを見つける女性教師が何人かいる。
自分のタイプと見比べて
シンパシーを感じたり、
目標にしたりしている。
そういう全く違う人生と個性の5人に書いてもらった。
1月6日に全員神戸に集まる。
会いたい人は、予定を空けておいて。

追手門の教頭が、丁寧に読んでくれて、うちの女性に順番に回している。
「これは、男性も読むべきだ。」
と言ってくれるのはうれしい。
こういうコンセプトの本に否定的な先生もいらっしゃる。
人はそれぞれだから、それはそれでいい。
一方で夫婦で読んで、話し合ってくださったり、
「女性教師の生きてきたことに対して、全然考えが至っていなかった。」
とおっしゃってくださる方も、いらっしゃる。
そういうことを見聞きすると、この本を作ってよかったなあと思う。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%81%AE%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E5%A4%9A%E8%B3%80-%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4761923261/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1498945767&sr=8-4&keywords=%E5%A4%9A%E8%B3%80%E4%B8%80%E9%83%8E

国語の授業とは

Posted By taga on 2017年6月26日

今から20年前の学習指導要領の改訂で
国語の授業の方向がおかしくなった。
『ごんぎつね』を四時間でさらっと読んで
他の学習とタイアップするというような
不可解な教科書の扱いになった。
当事、そこまで文学の精細な読みの学習に
打ち込んでいた教師たちは戸惑った。
研究会では、
プレゼンテーション、
ディベート、
パネルトーク
クロスカリキュラム
等の横文字が並び、
物語文の読解などの公開授業がなくなった。
今、若い教師たちは、そういう国語の授業を
普通に受けてきた。
そりゃあ、一斉指導の授業のイメージが
わかないよなあ。